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ゲームと物語の交差する瞬間と、積み重ねた道程の肯定ー『Fate/Grand Order』最終決戦に捧ぐ。

雑記 ゲーム

世界、救ってますか?(挨拶) ハバネロです。

クリスマスも無事に終わり、『ローグ・ワン』を見て肉を食らいつつ魔神柱を倒しまくるというとても充実した聖夜を過ごしました。
一方で、副主催として関わってるニコマス企画「ミリオンライブ!4th st@ge Happy for you!」の告知もあがってます。

「ミリオンライブ4周年をみんなで賑やかに祝ってしまおう!」というお祭り騒ぎです。詳しくはこちらのブロマガを参照してください。不明点は副主催の僕、もしくは超主催のミントガムPに直接お聞きいただければ、可能な範囲でお答えします。
そしてなによりも皆さんの参加をお待ちしております!武道館ライブにも負けない熱狂を、みんなでニコマスのど真ん中にぶち上げましょう!!

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さて、宣伝終わってここからが本題。
Fate/Grand Order』のメインストーリー、そのフィナーレとなる最終決戦『終局特異点 冠位時間神殿ソロモン』が12月22日より実装された。レイドバトル形式による同時性の高いイベント形式で行われることが事前に告知され、また章を経るごとに評価を高めてきたシナリオ面においても、プレイヤーから大きな期待を寄せられた今回の最終決戦の実装。しかし、蓋を開けると待っていたのは、「魔神柱(レイドボス)をどれだけ時間内に多くぶっ倒して素材を手に入れるか」というエクストリーム棒倒しの様相を呈する地獄だった--。
実装からわずか24時間で当初用意されていた六体の魔神柱のうち半分が倒れ、しかも「倒すべき数が当初よりも水増しされる」という普通のソシャゲでやったら絶対爆発炎上不可避みたいな案件に対し、プレイヤーから運営のアカウントに感謝のリプライが届くという斜め上の事象まで発生。
そんな熱狂という言葉すら生易しい、もはや狂奔と呼ぶしか無いカーニバルが発生していたのだが、25日、すべての魔神柱が倒されたことによって、いよいよラスボスとの戦いの幕が開いた。
今回はその最終決戦について、主にゲームと物語の合致という面にフォーカスを当て、書いていきたいと思う。








此処から先は盛大にネタバレを含むので、「(もうクリアしたから)別に見てしまっても構わんのだろう?」と背中で語れるマスターのみが進んでほしい。ここでうっかりネタバレを踏んだとしても、それに対して私は一切の責任を取れないので、すまない――。(CV:諏訪部順一




■それまでは乖離していたバトルとシナリオ

まず結論から言うと、FGOの最終決戦は「ゲームとしてのバトル要素と、物語としてのシナリオが、あまりにも美しく噛み合った奇跡」だった。

その前に書いておきたいのは、実のところこれまでFGOのゲームは、多くのプレイヤーにとって「バトルとシナリオの状況が乖離している」ものであったということ。
シナリオを読む限り、各章の舞台となる特異点では、主人公の相方として常に行動をともにするマシュ・キリエライト以外は、それぞれ特異点で出会ったサーヴァントが力を貸してくれているという描写がされている。
しかしながら、ゲームとしての実情はどうかというと、大抵はフレンドポイントや石で引けるガチャ産のサーヴァントがひしめき合っており(※もちろん例外もある)、他のプレイヤーが持っているサーヴァントをサポートとしてバトルに連れて行くことも出来るので、シナリオ上で描かれるよりも膨大な戦力を主人公=プレイヤーは所持していることになる。これは章が進むほど、そしてガチャを頻繁に回し、また強力なサーヴァントを所持するフレンドが居るプレイヤーほど顕著になっていき、「これだけしか仲間が居ない状態で強大な敵に立ち向かわなければならない」という絶望感が、プレイヤー視点に立つとおそろしく実感の薄いものとなる。
「いやいや、戦力的にピンチや言うけどな、うちには世界何回でも救えるくらいの英雄がひしめき合ってますがな」
そう思ったプレイヤーは結構な数いたのではないだろうか。
ただ、そうした乖離を表立って問題にする必要が無いほどシナリオは洗練され、また「持っているサーヴァントでどうやって難敵を攻略するか」というある種Fateという物語におけるバトルの根源をなす要素に下支えされていたこともあり、「そうした部分は一旦脇に置いてゲームを楽しむ方が良い」という認識もあったはずだ。

ここまでが第七章までのお話、そして今回の前置きである。

■集う英霊たちと制圧戦、噛み合うバトルとシナリオ

翻って、最終決戦においてはどうであったか。結論から言えば、静かな瑕疵としてFGOというゲームに存在していた「バトルとシナリオの乖離」は恐ろしいくらい見事に解消されていた。

まず、ラスボス戦の前にエクストリーム棒倒し、もといレイドボスである魔神柱を倒す制圧戦を通らねばならない。
前述の通り、この制圧戦は運営の想定とは全く別のゲームになっていた気もしないではないが、ソロモンの72柱の悪魔がすべて登場し、しかも倒しても倒しても復活するという状況はかなり絶望的である。加えて、それが200万体かける7プラス500万体の合計1900万体(記憶違いとか計算間違いがあったらすまない)になるのだから。それが僅か三日で全滅したのはもう草しか生えないのだが、だとしてもそれまでメインシナリオでボスとして登場する魔神柱の手強さは、プレイヤーの脳裏に刻まれている(実際は六章のガウェインとかもっとヤバい奴がいたのだがそのへんは割愛)わけで、これが激戦であるというイメージはプレイヤー間に容易に共有される。
それに対抗する手段として、シナリオ上では各特異点で共に戦ったり、期間限定でガチャに実装されていたりしたサーヴァントたちが次々に助けに来てくれる、という王道も王道のクソ熱い展開が待っている。
これまで幾度となく苦戦を強いられてきた相手が無数にいる状況を、それまで積み重ねてきた出会いが打開してくれるのはまさに最終決戦に相応しい総力戦の様相である。同時にこれは、「自分の持っているサーヴァントやフレンドのサポート枠に置かれているサーヴァントを最大限使いこなして戦っていく」というプレイヤー側の状況とも完璧に合致するのだ。
こうしてシナリオの熱がきちんとバトルにも流入し、ついでに魔神柱がドロップする素材の豊富さも手伝った結果どうなったかというと、僅か2日半で制圧戦が終了したのである。第一部完。

■ラスボス戦での「不在」と「存在」が担保する積み重ねとカタルシス

そしてそんな制圧戦を超えた先にあるラスボスとの決戦。
怒涛のように真実が開示されていくシナリオはそれだけでもジェットコースターの如きヤバさなのだが、その真価が発揮されるのは、いよいよラストバトルという瞬間である。
ここではネタバレをいとわないと宣言した以上書いてしまうが、ラストバトルの直前、シナリオ上でマシュは主人公であるマスターを守るために命を散らせてしまう。シールダーのクラスを象徴する彼女の盾だけが地面にぶっ刺さったスチルは、同じぐらい鋭利にプレイヤーの心を刺す。
そして、「マシュのためにも勝つんだ!」とバトル前の編成画面に入ったとき、マシュのアイコンに書かれた「出撃不能」の文字が見える。
さきほどのスチルとの相乗効果で、正直これはかなり刺さった。このゲームを舐めていたかもしれない、とすら思わされた。
最初の段で述べた通り、シナリオ上では存在しないはずのサーヴァントでも、自分かフレンドが持っていれば自由に使えるのがこのゲームだった。それに慣らされていた私は、編成画面を開いてマシュを選ぶことが出来ないことに少なからずショックを受けた。
そしてまた一方、このマシュの不在はこれまで積み重ねてきたシナリオを振り返ると、さらに重みを増していく。マシュは主人公の相棒として設定された特殊なサーヴァントで、素材と経験値があればいくらでも自由に強化できる他のサーヴァントとは異なり、メインストーリーを進めることでその性能は徐々に強化されていく。当初は「編成コストが0で弾除けが出来るぐらいならまぁ入れとくか」程度の認識だったのが、物語とともに成長していき、六章を超えた頃には「コスト0で優秀な盾役が使えるのだから編成に入れない手はない」というレベルに至り、そうなる頃には愛着も湧いている。彼女は主人公=プレイヤーの積み重ねてきた道程の象徴でもあるのだ。それが失われた絶望感ときたらもう。

しかしながら、またマシュの存在のみがプレイヤーの積み重ねの象徴でない、という構造が取られているのがこの最終決戦のニクいところである。今回の最終決戦においては、各サーヴァントの絆レベルによって攻撃力が上昇するシステムがとられている。この絆レベルは戦いに出さない限り上がらない仕様で、加えて、これを最大値の10まで上げるのには膨大な戦闘回数をこなす必要がある。
また、ラスボスはスキルや宝具、攻撃力がえらいことになっており、相手の攻撃を耐える際に重宝する優秀な盾役であるマシュを抜きにしてクリアするのは一見不可能にすら思える。しかしながら、サーヴァントの持つ様々な能力を駆使すれば、なんとかなってしまうバランスになっている。しかもその際に活躍するのはレアリティの低いサーヴァントだったりする。能力を上げて、適切な運用をしてやればどんなサーヴァントにも活躍する機会があるというのはこのゲームにおける最大のポイントである。
私の場合は、アステリオスカリギュラが活躍してくれた。この二騎は双方とも低レアのバーサーカーである。高火力紙装甲を地で行くバーサーカーは、アタッカー運用が基本であり、基礎ステータスの高さ=レアリティが他のクラスよりも重要になる"はず"なのだが、その真逆を行く低レアの二人は、守りの要として輝いてくれた。
こうした「これまでどんなサーヴァントを手に入れ、育て、運用してきたか」ということもまた、積み重ねの象徴である。旅の過程で出会ってきたさまざまなサーヴァントの存在が、ここでゲームとしてラスボスを攻略する鍵になってくるのだ。

そしてその積み重ねを武器にラスボスを制するという体験は、正しく主人公とプレイヤーが重なる瞬間であり、RPGをプレイする醍醐味を与えてくれる。それは、これまでほぼ「ガチャゲー」の言い換えにしか過ぎなかった「スマホRPG」というワードの意味とは……と思わず考えてしまったが、それすらほんとどうでもいいことに思えるくらいに、カタルシスを覚える瞬間なのである。

■人の積み重ねを肯定する物語への喝采

ここからは純粋に物語としての話、もしくはどうしようもないTYPE-MOONファンの熱弁だと思って読んでもらえれば幸いだ。

ここまで述べてきた通り、最終決戦はこれまでに培った絆を武器にして巨大な敵を倒す構図なのだが、それはまた、プレイヤーが積み重ねてきたこれまでを絶対的に肯定するものになっている。
ラスボスの提示する死のない世界を否定し、ここまで歩いて来た先にある未来を見ることを選択するマシュの姿もそうだし、これまで積み重ねてきた絆ポイントと戦いの経験が、最終決戦に生きてくるというゲーム的な部分もまさにそうだ。
さらにシナリオを振り返ってみれば、第二章でローマとその皇帝としての在り方を神祖ロムルスによって肯定されるネロの姿や、あるいは第七章で滅びの未来を予見しそれに抗ってきたギルガメッシュが、絶望的な状況で主人公に語った「これは負けではない」という言葉、そういったものたちが蘇ってくる。
さらには、Fateという物語の原点というべき『Fate/stay night』においても、否定してきた王としての自分を見つめ直し肯定するアルトリアの姿が、そしてなにより衛宮士郎の放った「絶対に、間違いなんかじゃないんだから!」といった言葉が思い出されてならない。
そう思えば、最初に世に出た時点から、Fateという物語は、人が積み重ねてきた道程を肯定するためのものであったのかもしれない。

そして、人類という種全体が積み重ねてきた道程が「人類史」だとするのならば、それを守るための戦いであった『Fate/Grand Order』の物語は、正しくFateとしての魂を持ったものだと言って良いと思う。
そして、主人公たちのこれまでの道程は、そうした人々の積み重ねた道程を踏みにじるものとの戦いであった。そしてそれがあったからこそ、臆病者を自認するドクター・ロマン=人間となったソロモン王は最終決戦において、勇気ある決断を下すことが出来た。また同様に、最後の最後で、フォウくん=人類に対する絶対殺害権を保持する死徒二十七祖プライミッツ・マーダーが、本来の役割とは真逆に、マシュを死の淵から掬い上げるという奇跡が起こった。それはまた、主人公たちが対峙してきた"人類悪”の一つに対する、ささやかながら大きな勝利だ。
そしてその結果もたらされたマシュの帰還は、先程述べたラストバトルでの不在と喪失を埋め合わせるハッピーエンドに相応しいものであり、あそこの選択肢で躊躇なくハグ返しを選んだのも当然のことなのだ。そういうことにしておいて欲しい。

特に後者については、ちょうど10年前にディーン版の『Fate/stay night』のアニメをきっかけにTYPE-MOONの世界にハマり、今や更新停止して久しい「月姫研究室」を読み漁ってスポンジのように知識を吸い上げていた自分にとっては、とても嬉しいサプライズだった。人類に対する敵であり、御するのに七騎の守護者が必要とされることから、聖杯戦争における七騎の英霊による戦いの元にもなったと語られる存在。それが最後の最後でマシュを救ってくれるというのは、もう、月姫』以来積み重ねられたTYPE-MOON作品に共通する世界観そのものの発露だと言ってしまっていいだろう。だから月姫リメイクも早くしてください。
……と、同様に、いつぞやのニコ生でプライミッツマーダーの名を口にし、そのディープなファンぶりを披露し共演者にドン引かれ、一部視聴者の好感度を爆上げしていたサーヴァント・ガーチャー、もとい島崎信長さんの感動はいかほどだったことか、というところまで思いを馳せてしまう。
そう思えば、今回の最終決戦の物語は、作中のキャラクターが物語の中で積み重ねてきたもの、そしてプレイヤー一人一人がゲームの内外でFateというコンテンツに対して積み重ねてきたものを、最大級に肯定する拍手喝采だったと思う。

だからこそ、一プレイヤーであり一ファンである私も、最大限の賛辞と感謝を贈りたい。
素晴らしい物語を届けてくれた奈須きのこさん、武内崇さんを筆頭とするTYPE-MOONの皆様に。
ゲーム開始当初から度々上がっていた様々な不安の声にも負けず、良いゲームにしようと頑張ってくれたディライトワークスの皆様に。
素晴らしい熱演でゲームを盛り上げてくれた島崎信長さんをはじめとしたキャスト陣の皆様に。
物語における相棒だったマシュ、レベル100絆レベル10全スキルMAXで決戦に挑んだ弊カルデアのエース沖田さんをはじめ、共に物語の中で戦ってくれたサーヴァントたちへ。
いつもサポート枠を充実させてくれるフレンドのみんな、TwitterでFGOの話を交わし合うみんなへ。

ありがとうございました――!そして次の旅路もまた、共に楽しめることを祈ります。

あとは本当に雑記。
ちょうどこの文章をクリアした後の熱に浮かされたまま書いて寝かしてたお昼のこと、竹箒日記が更新された。
その全容はぜひそれぞれの目で確かめてもらうとして、私の目を引いたのは、FGOのプロットが坂本真綾さんの『スクラップ~別れの詩』を聴きながら作られたものであった……というくだり。
TYPE-MOONの世界にはまり込むのとほぼ前後して、私は坂本真綾さんのファンになり(だいたいガンダムSEED DESTINY桜蘭高校ホスト部が悪い)、『空の境界』が劇場版アニメになったとき、式のキャストが真綾さんだという話を聞いたときは飛び上がって喜んだものだ。そんな人間にとって、この話が刺さらないわけもなく、真っ昼間から人目も憚らずに号泣しかけたのだけれど寸前で踏みとどまった。
最後にその曲の一節を引用することで、このパッションがほとばしってまとまりきらない文章をきれいな感じで締めようと思う。

「汚れなき明日は来る 名もなき夜に
 愛してる そんな簡単なひとことが
 欲しいから それでも生きる
 私たちは行く
 愛と希望のものがたり」

愛と希望のものがたり。
Fate/Grand Order』という人理修復の物語を、そしてそこで戦った数多の人たちの道程を総括するのに、これ以上美しく簡潔な言葉を、私は知らない。

■  ■  ■

というわけで、年末年始はみんなで『色彩』と『スクラップ』を聴きつつ、大晦日のTVスペシャルを見て盛大に色んな感情を迸らせてしまおうな?

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少年アリス

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それでは皆様、守り抜いた2017年を良い形で迎えられますように。
改めて、良いお年を。