お前は「涼本あきほ・永井真理子のしぇあはうしゅ」を観て狂え

よくきたな。おれはハバネロだ。
今回も適当なタイトルが思いつかなかったので逆噴射構文にたよることとする。

2020年、世間は東京オリンピックイヤーに期待を膨らませ、おれの周りのプロデューサーは15周年イヤーのスターリットな季節に期待や怨嗟をぶつけたり、ガチャの天井に頭をぶつけたりでとかく忙しい。
そんな中、恐ろしい番組がたんじょうした。
それが涼本あきほ永井真理子のしぇあはうしゅ」だ。
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この両名の名は、聖蹟桜ヶ丘という名のメキシコ……コンドルではなく鳩の羽根が舞う地・283プロダクションを舞台にしたゲームアイドルマスターシャイニーカラーズ」をプレイしているものにとってはおなじみのものだろう。
ふたりは「放課後クライマックスガールズ」というユニットでそれぞれ有栖川夏葉西城樹里というアイドルに魂を吹き込みオーバーソウルしている声優(シャーマン)だ。
夏葉と樹里というこの二人は、シャニマスがメキシコの大地にケツァルコアトルのようにおりたってからというもの、対になる存在として鎬を削ってきた。
このあたりの話をするとこのブロゴだけでは紙幅がいくらあってもたりないので、「じゅりなつ」とかでツイッタ検索をするとよい。
さまざまなつよすぎる公式供給と、それに負けまいと妄想を具現化したイラストやテクストがそれこそ山のように見つかる。

なにがいいたいかというと、涼本あきほ永井真理子の両名は公私ともに名タッグであるということだ。
おれはルチャよりもサッカーにくわしいのでこういうたとえを使うが、デルピッポとかリバウドロナウドとか……もしくはおれの好きな組み合わせでいうとシャビ・アロンソとジェラードとか、ふたりはとにかくそういったプリティでキュアキュアな名コンビであることが知られている。
そういったわけで、このふたりがコンビをくんで番組を始めるという告知があったとき、おれたちが住まうじゅりなつの村はおおいに沸き立った。
じゅりなつの村は不定期に大収穫祭が起こるきょだいなトウモロコシばたけのある農村だと思ってくれれば良いが、その時の興奮たるやまさに祭であった。

しかし、村のちえある者たちは発表の時点ですでにこの番組が「ヤバい」ことに気づいていたのである。
涼本・永井の両名がON砲とか極悪同盟に比肩する名コンビであることはすでに述べた。
しかし、このふたり……なんというか、公私ともに名コンビがすぎるのである。
あきねえ(涼本女史の愛称だ)はざんねんなことにSNSの類をやっていないが、ながどん(永井女史の愛称だ)はツイッタを頻繁に更新してくれ、その中に決して低くない確率であきねえの写真がまざっているのだ。
その内容も、「コラボカフェに一緒に行った」という声優らしいものから、「年越しそばを作ってもらって一緒に年を越した」「クリスマスマーケットに行った」などの距離感がメキシコにおける権力者と麻薬カルテル並に近すぎるものまで様々なのである。

そんなじょうきょうで二人だけの番組がはじまったらどうなるか。

第一回から二人のなれそめが語られ、要約すると「第一印象がお互いに良くなかったところからきょりをつめていく」という王道の百合漫画みたいな話を聞かされ、おたがいがおたがいのことを理解しすぎている夫婦のような距離感でトークが展開され(「帰ってくるタイミングに合わせてご飯を作っている」「おたがいにおたがいのメイクをしてみたい」とはなんだ?????)、週3でお泊りをしているというばくだん発言までもが投下された。
これは乾いたメキシコの大地に降り注いだ恵みの雨、というよりも、もはやカリブ海がなだれをうってメキシコに侵食してきたというのがただしい。
そんなわけでわれわれしぇあはうしゅの民(番組の中では「るーむめいちゅ」というなまえで呼ばれる)は第一回にしていちゃいちゃの大海にのまれ青息吐息となった。

その間も公式アカウントは二人の抱くぬいぐるみにサメがあるせいなのかなんなのか知らないが、なんとか陸地にたどりついたわれわれに追撃の手をゆるめなかった。
番組終了後にはきっちりといちゃいちゃ写真を上げ、第二回の放送が近づけば、「心の準備はよろしいでしょうか」とのたまう。


視聴者に心の準備がひつような声優番組とは、なんだ?????
おれたち村の民はいぶかしんだ。
だが、それでも第二回はやってくる。忍空のエンディングテーマのように。

そしてむかえた第二回。
ついにメキシコを侵食したカリブ海は、ガムシロップの原液にみたされた。

完全にカップルがおうちでいちゃいちゃしながらゲームやってるノリでマリオだのカービィだのをやり(あいての膝の上にねころがるんじゃない)
おたよりも「理想の結婚式は?」だの「べすとふれんじゅから彼氏になってしまいました♡」だの甘々といなずまみたいなものが投げ込まれ。
あきねえが風邪をひいた折にながどんが看病しにきてくれた、などという百合漫画のイベントのようなエピソードがひろうされ。

ほか。
「私のご飯美味しいって言ってくれる」
「まりこちゃんはほんとにあたしに甘いと思う」
「わたしはあきねえの泣き顔に弱い」
「実際あきねえと居ると楽しいよ」
「いっつも寝る時くっついてる」

……もう発言をかきだしているだけで胸焼けがする。
おれたちはいったい何を見せられているのだ???

……なにがおそろしいかというと、このふたりのかんけいには一切の「嘘くささ」がないということだ。
おれは「百合えいぎょう」というものの存在は理解している。
女性同士のなかよしイチャイチャをみせることにより、バズ(なぜかウッディはいない)を狙い人気を得ようという商法である。
おれはそういうものを悪しき習慣だとだんじるだけの潔癖さはもちあわせがないし(メキシコにはそんなものは不要だ)、むしろよろこんで摂取するたちだ。
だが、このふたりの様子はもはや「えいぎょう」という言葉を付け加えるにはナチュラルすぎる。
最高級のてんねんの合法ハーブを、カナダの原生林からとってきたメープルシロップにひたし、フランスでしゅぎょうした最高のパティシエがりょうりをした、紛れもない極上の「百合」である。
このブロゴをよんでいるものの中には、なまみの人間にたいしてそうした視点をもつことに抵抗のあるものもいるだろう。
おれもそうしたものについては「本人のめに触れたらどうする」というけねんがないわけではない。
だが、このあっとうてき「甘さ」にひたされた空間のまえでは、そんな理性はシュワルツェネッガーにボコられる三下ていどの役にしかたたない。
じっさい、この甘さにあてられたおれのフォロワーのいくにんかは、その甘さにたえるためのシェルター(メキシコのそとでは「かぎあか」とよぶらしい)を建築するにいたっている。

今日おれがいいたかったことは、まとめるとこうだ。
しぇあはうしゅはひとを狂わせる。
うつくしすぎる百合の花はひとをこわす。
それはまぎれもないじじつである。
ただ、その「狂い」がとんでもなく極上の甘味だとしたらどうか。
それは令和のじだいをむかえたこのニッポンで、真にたいけんするべき最高のエンターテイメントではないだろうか。

これをよんでいるおまえも、もしかくごができたとか、じんせいがつらいとか、そういうことがあったなら、毎月第二月曜日・第四月曜日にはニコニコ生放送をひらき、「涼本あきほ永井真理子のしぇあはうしゅ」を観てみてほしい。
そしてもしその空間に身を浸すことをいとわないのであれば、ぜひるーむめいちゅになってほしいし、なんならチャンネル会員になってふたりの生活をささえる光熱費(ほんとうに放送内でチャンネル会費のことをこう呼んでいたのだ)になってほしい。

そしてどうやら次回はバイノーラルマイクをつかったコーナーがあるらしい。


おれはすでに遺書をしたためた。
来週の月曜夜まで、いきのびてまた会おう。