お前まだスカイウォーカーの夜明けてないの???あるいは「選択と継承」の物語としてのスター・ウォーズ

のっけからクソみたいな煽りタイトルで本当に申し訳ない。
さて、ついにスター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』が全銀河で封切りになった。
今頃タトゥイーンの映画館ではチケット売り場に長蛇の列が出来ているだろうし、クリンゴンでもワールドプレミアが行われレッドカーペットをウォーフ将軍が歩き、惑星シマーバラではカーニバルもついでに開かれていたりすると思う。私はそう信じる。

おそらくこれから沢山の感想が電子の海を駆け巡るだろう。賛否も様々あるだろう。だが、私は初日に見て完全にやられた人間としてここに賛歌を書き散らしておきたいと思う。

前作『最後のジェダイ』があまりにも悪い方向に観客の期待を裏切りまくる構成だったため、正直私はぜんっぜん期待していなかった。
正直今日の夕方まで親しい友人の葬式に行く気分だった。
1999年の夏、祖父に連れられて見に行った『ファントム・メナス』から始まったスター・ウォーズとの付き合いも、20年の時を経て遂に切れる時が来るのではないかと思っていたし、なんならキレるだけなら前作の時にキレてた。
あの時は怒りのあまり我を失ってたしもう完全にダークサイドだった。ライトセーバーは真っ赤に染まってたし鼻息だけでコーホーコーホー言ってた。
きっと、今回もEP3で溶岩流に落ちたあと救助されてマスクつけられたときのアナキンみたいにキレ散らかす羽目になるのだろうと思っていた。
だが、それらはすべて良い方向に裏切られた。
『スカイウォーカーの夜明け』、最高だと思った。
『最後のジェダイ』で発生した、エスポワール号に乗り込み大金を手にしなければ返せないようなとんでもない負債──ほんとあの無意味に出てくるデル・トロとかフィンを寝取るブサイクとか、なによりしょうもない内輪もめで壊滅するレジスタンスとか──そういったもののマイナスをきっちり生産して尚お釣りが来る……それだけの価値ある一本に、『スカイウォーカーの夜明け』はなったと思うのだ。
そして私はライトサイドに帰還した。皇帝と一緒に『最後のジェダイ』を見たときの怒りの感情も全て、宇宙に投げ捨てた。

先だって地上波で流れた『最後のジェダイ』にブチ切れているそこの貴方。
そういう人こそ『スカイウォーカーの夜明け』を体験して欲しい。ここに公式サイトのURL貼っとくからお近くの劇場を探してとっとと夜明けて来たら良いと思う。
starwars.disney.co.jp


まあ、合う合わないはあると思うので損はさせない、とまでは言えないけど(弱気)


さて、ここからはネタバレを多分に含むので見てない人(たぶん記事書いてるタイミング的に大多数がそうだろ、と思うのだが)はバック推奨。
もう「俺はスカイウォーカーの夜明けたぜ!!」(何だそのミーム?!)って人は続きを読めばいいと思う。
あえてネタバレ踏んでから見るかどうか判断したい、というひとはお母さんもう知らないから好きにしなさい!!!














■「選ばれしもの」から「選びしもの」へ

いやもうこれに尽きるのである!!!!!!!
というかもうこの話がしたくてコレ書いてるので、たぶんこの話しかしないのでごめんな……

のっけから全力でネタバレするけど(そういう記事だ許して)、今作でレイの出自が明かされる。
なんと皇帝パルパティーンの孫娘だったのである!!!
正直最初は「は??????」ってなった。
「だってお前前作で家族に捨てられた何の変哲もない可愛そうな孤児みたいなこと言われてたやん????」と思わずツッコミもした。
ただ同時に「あーーーーーだからカイロ・レンくんは熱心にレイのことダークサイドに勧誘してたのね!!ただの童貞のクソデカ感情じゃなかったのね!!」という納得もあった。


あともう一人唐突に出自が明かされる人が居まーーーす!!
それは前作でただのダメロンさんになってしまったポー・ダメロン。
彼はレジスタンスに入る前は辺境の惑星でスパイスの運び屋をしていたのである。うん、なんかどっかで聞いた経歴だね。

それが分かった時のフィンとポーのやりとりが最高である。

「スパイスの運び屋とはね……www」
「お前だってトルーパーだっただろw」

この男子中学生みたいなやりとり、二人の関係性を表していて結構好きなんだが、ただそれだけではないエモポイントが詰まっている。
そう、出自や経歴はどうあれ、二人は今、打倒ファースト・オーダーを掲げレジスタンスになることを選び、同志として戦っている。
「出自ではなく何を選択するかが大事だ」というメッセージは、もう前半のこのシーンで実は伏線として埋められている。


そして中盤、かつてデス・スターⅡが落ちたエンドアの地でカイロ・レンと対峙したレイは、レイアの助力を得てついに彼に刃を突き立てることに成功する。
しかし、そこでレイは彼の表情を見て取ると、己がライトセーバーで貫いたカイロ・レンの傷をフォースで治癒するのである。
この瞬間に、私は『ジェダイの帰還』で「父さんは殺せない」とライトセーバーを置くルークの姿を幻視していた。
そして畳み掛けるように、カイロ・レンの前に現れるハン・ソロの幻覚。
父親の幻覚に対し、カイロ・レン――いや、ベン・ソロは「やるべきことは分かってるのに出来る自身がないんだ」と嘆くのだが、それに対するハン・ソロの返答が「お前なら出来る。知ってるさ」なのである!!!!
ここでそんな名台詞を突っ込んでくるなや!!!!泣くだろ!!!!!実際アホみたいに泣いたが!!!!!!!
……突然興奮する患者みたいになってしまって済まない。


そして皇帝vsレイの対決シーン、もうあまりにもスケールがでかすぎて何が何やらなんだけれど、(フォース・ライトニングで艦隊をめちゃくちゃにするな)ここには今作のもう一つのテーマである「継承」が込められている。
「私がシスの全てだ」とうそぶく皇帝の前に、一度は力尽きるレイ。
しかし彼女を立ち上がらせたのは、ルークを始めとする歴代ジェダイ・マスターの呼びかけ。
そして、ルークとレイア、それぞれから継承したライトセーバーの二刀流で「私がジェダイの全てだ!!!!!!!!」と叫びながら皇帝を文字通り打ち砕くのである。
あまりにアツくてうっかり映画館で外人四コマ並のガッツポーズをしていた。
……スター・ウォーズの設定に詳しい方はご存知だと思うが、シスの暗黒卿の継承は、師匠を殺害することで完成する。そしてシスの伝統は常に師匠一人弟子一人。すなわち、シスは常に孤高の存在なのだ。
一方でジェダイは連綿と受け継がれる師弟の関係が存在する。かのジェダイマスター、ヨーダを源流にヨーダ→ドゥークー伯爵→クワイ=ガン・ジン→オビ=ワン→アナキン/ルーク→レイと連なる系譜が確かに存在するのだが、どいつもこいつも弟子の育成に失敗している。(ダメじゃん……)
それでもレイには受け取ってきたもの、積み重なってきたものの重みーーレジスタンスに与することを選んだ重み、ルークに導かれジェダイになることを選んだ重み、ベン・ソロを殺さず生かし、ダークサイドではなくライトサイドを選択した重みが、それぞれ2本のライトセーバーに乗っているのだ。
とにかくフィクションの世界ではクソ重いものを背負うことを選び、それでも折れなかったやつが強者である。だからレイは勝つ。皇帝の力には孤独と猜疑と私利私欲しか乗っていないからだ。
背負うこと、受け継ぐことを選び取った勇者は何よりも強い。
だから勝つ。
物語の論理として、そこが一切ぶれていない。
だからすごくよかった、と私は思うのだ。

そして何より、決戦後のシーンが最高なのである。
それぞれの戦いを終え、勝利を祝い抱き合うレイとポー、フィンの三人。
いやもう『フォースの覚醒』のこの三人の関係性が絶妙だったからこそこの三部作の希望を信じてた所あるし、これが見れて本当に良かった……。
その歓喜の輪を眺めながら、ランド・カルリジアンと元ストームトルーパーのレジスタンス・ジャナがこんな会話を交す。
「私の故郷は……分からないんです」
「だったら、探しに行かなきゃな」

これ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
故郷とは産まれた場所のことではなく、居たいと思える場所、帰りたいと思える場所なのである。
それを知ってか知らずか、パルパティーンおじいちゃんも孫であるレイの前でレジスタンスの艦隊を蹂躙しながら「お前の新しい家族は失われる」なんて言っちゃうのである。おじいちゃんなんだかんだで孫に甘くない???
それは冗談として、そういうこと考えるとパルパティーンの対決後に命を落としたベンとレイアが、全く同時にフォースと霊体化して消えるところも、「やっとベンくんはお母さんのと一緒に帰れたんだね……」と思えて泣けてくる。

そしてそして、今作の白眉はなんといってもラストシーン。
タトゥイーンにレイアとルークのライトセーバーを埋めるレイ。
そして自分で作ったと思しきライトセーバーを取り出し、その刃を眺めていると、現れた老婦人に名を聞かれた彼女は、こう答えるのだ。
「私はレイ──レイ・スカイウォーカー」

ここ!!!!!!!!!!!背後に朝焼けが見えるのも含めてあまりにもきれい過ぎるタイトル回収!!!!!!!!!!!!
血筋である「パルパティーン」ではなく、レジスタンスを率いてきたレイアと、ジェダイとしてのあり方を示してくれたルークの姓である「スカイウォーカー」を名乗る──血筋に定められた在り方ではなく、自分の在り方を自分の意志で選び取ったことが確かに伺える名シーンだと思う。
これが見れただけで、種々様々の負債を返済してお釣りが来るし心底最高だと思う。

思えば、アナキン・スカイウォーカーは運命と状況に振り回された存在だった。
奴隷として産まれ、フォースに調和をもたらす者と呼ばれてジェダイになったものの、愛するパドメの死を予見し恐れのあまり皇帝に接近しダークサイドに落ちた。
彼の前半生には、生まれ持った状況や資質により引き起こされたどうしようもないこと、そうするしかないという選択の余地がない状況が、あまりにも多すぎたように思える。
そんな彼を救い、ライトサイドに引き戻したのが、自らの意志でタトゥイーンを飛び出し、時には無鉄砲さで失敗もし、ヨーダに「我慢のない子」とまで言われたルークだったのは象徴的だと思う。
ダース・ベイダーを殺すのではなく、父アナキン・スカイウォーカーを救うというあの「選択」こそが、ルーク・スカイウォーカーの真価だと思っている。

だからこそレイが、パルパティーンの孫娘という「血」ではなく、自らが選び取った「絆」によって、帰るべき場所と名乗るべき名前を得たことが、一層エモく見えるのだろうな、と思う。
スター・ウォーズは確かにスカイウォーカー家の物語である。
ただ、もはやその家系図は血統ではなく、選択によって繋がれることになった。
ついに「選ばれしもの」ではなく、「選びしもの」がフォースに調和をもたらす時がきたのだ。

ここまで褒めちぎっては来たけれど、ぶっちゃけた話、『フォースの覚醒』に始まる三部作は過去の遺産に頼りすぎだろ、と思う面もある。その割にハン・ソロもルークも殺すし過去の遺産に無頓着過ぎねえか???とも思うのだ。思うのだけど、それらは全て「継承」というテーマに帰結させたら最高の舞台装置だとも思えてくるから不思議。
そしてまた、本当の意味で「全て」を継承することもできないのも事実。悪しき因習は置いていかなければならない。血統主義も、代わり映えのしないデザインのスター・デストロイヤーも、お前いいかげんに飽きろやってレベルで黒幕やり続けた皇帝も。

だからこその「夜明け」であり、新しい時代の幕開けを見た、そんな風に思う。

とりあえず、「クソネズミどもにスター・ウォーズの利権売ったルーカスどうかしてるぜ!!EP3でパルパティーンに非常大権を与える提案したジャージャー・ビンクス並の愚行だわ!!」とかJ・J・エイブラムスとかいう過大評価されてるクソオタクの撮ったオナニー」とか思っていたことを謝罪しておきたいと思います。本当にごめんなさい。
でももう続編はいらないかなって気分だったりする!!!!!!!!!!!