腫れるは玉だが竿は立つ

よく来たな。おれはハバネロだ。
おれはさいきん毎日を病院のベッドですごしている。この文章をよんだおまえは、いよいよやつにも天の裁きがくだり難病で世を去るのも間近なのだな、と早とちりし、コロナビールとドリトスで祝杯をあげるかもしれない。
しかしざんねんながら事実はちがう。おれは不運な事故により金玉を腫らして入院する羽目になっただけだ。メキシコの台地では時に予想もできないバッドラックが襲いかかる。今回はたまたま、それが俺のところに降りて来たというだけだ。そのいきさつはまったくバンデラスではないが、びぼう録として、なによりこの状況をおもしろおかしく記述して溜飲を下げるため、近況報告を兼ねて書きしるしておこうと思い至った。
俺のツイッタをフォローしているメキシコの同胞たちはすでに知っていることがらが多いかもしれないが、それでも読んで、笑い飛ばしてくれればありがたい。

運命の夜

……ええい、逆噴射文体は疲れる!w
なのでここからは通常営業で行こうと思う。
ことの始まりは4月29日の夜に遡る。全国的に祝日であるが弊社は通常営業というファッキンカレンダーを採用していたため、私は仕事を終え一目散に帰宅する途中だった。
しかもその日は動画で参加したCINDERELLA BALLの当日であり、生放送は大半が終わっているとは言え一分一秒でも構わないので見たかった。故に最寄りのコンビニで酒とツマミを買って帰路につく私は急いでおり、かつ明日は日曜日ということもあり有頂天だった。
知らず鼻歌で『おねだり shall we〜?』を歌い始める始末。しかし悲劇は「今夜のおかずはハンバーグかな」のあたりで起きた。

溝に落ちたのである。

その背景を説明しておこう。
私の住むマンションの隣は駐車場になっている。私は少しでも早く帰ろうと思い、その敷地を斜めに横切ったのである。今となってはその判断が悔やまれる。
横切ったところまでは良かったのだが、急いでいたのと夜道だったのが災いして、足元の確認を怠ったのである。結果、何が起こったか。

迂闊にも側溝のフタがないところに足を踏み出した私は、アイザック・ニュートンが発見した万有引力の法則に従って溝に落下したのである。

しかし、そこで私は泣きわめいたり、偉大なるニュートン先生を呪ったりはしなかった。真のメキシコの男に涙は必要ないから……ではない。
こうしたアクシデントは私に取って日常茶飯事だったからだ。
私は昔から少々ぼんやりしたところがあり、3歳の時は手渡された花火の火がついてる方を持って火傷を負った。また、9歳の時には人が乗ってる公園のブランコに近づいた結果、目の上にブランコの角がぶつかって三針縫った。
中学の時は組体操の練習中に、ピラミッドの二段目から落ちて顔面を強打し鼻血を吹いた。
高校の時は通学途中に自転車を止めたら片足だけ溝にハマり、一日中左脚からドブの匂いをさせながら授業を受けたこともある。

したがって、私は今回も「あーあ、またやらかしたか」程度の感慨しか抱かず、いてててと呟きながらまずスーツに損傷がないかを落ち着いて確認した。中学高校とコケて何枚も制服のズボンに穴を開けた経験に裏打ちされた、いわばベテランの余裕すら感じさせる動きだったと思う。さいわいスーツは無事だったので、明日クリーニングに出せばいいやと思い、凹んだコークハイの缶を拾って帰宅した。犠牲はそれと多少の擦り傷に内股の打撲程度だと、まだその時は思っていたのである。

暗い日曜日、そして

異変が起こったのは翌日であった。
痛みと共に目を覚ました時点で、昨日強打した内股は青黒く腫れていた。
こういう時は冷やすに限ると、痛む足を引きずってコンビニに行って氷を買った。そして冷やしながらCBのタイムシフトを眺め、自分の担当したパートのコメントを確認して悦に入っていた。そうするだけの余裕がまだあったのである。

しかし、腫れは収まらず、その旨をツイッターに投稿すると友人が病院に行けといってきた。かの内科部長も外科か泌尿器科の受診を勧めてくれた。
しかし問題は日曜日に病院にかかる方法を私があまり熟知していなかったことである。
前述の通り色々怪我の経験はあるが、普段の私は病気らしい病気は風邪ぐらいのもの、それも気合いとベンザブロックでねじ伏せるような人間だ。しかも私は最近越してきたばかりでこの街における医療機関のかかり方をまるきり知らない。
さいわい明日は月曜日だし、寝て治らなければ明日最寄りの泌尿器科にかかれば良かろうと、私は昼寝を決め込むことにした。

しかしその平穏は数時間で破られることになる。私は痛みで目を覚めるとともに、股に違和感を覚えた。恐る恐る触るとめちゃくちゃ痛い。急いで厠に立ってパンツを下ろすと玉が硬球ぐらいに腫れ上がっていた。
その時私の脳裏を過ぎったのは精巣捻転の文字である。最悪の場合は股の間のリトルホンダが壊死するかもしれない。私は恐怖した。もはや一刻の猶予もならない。スマホを取り上げ119を呼び出した。
玉が腫れたことを話すのは気が引けたが、背に腹は替えられぬし、魔羅はもっと替えられない。
果たして10分弱で到着した優秀な救急隊員の手により、私は生まれて初めて救急車に乗ることになった。

ショーン・ペンを待ちながら

救急車はストレイト・クーガー兄貴も惚れ惚れする速さで病院にたどり着くと、ただちにエコーとCTを撮られ、次は尿検査となった。
しかしここで試練が訪れた。
小便……と書くとあまりにも直截で品位に欠けるのでここではショーン・ペンと表記するが、かのオスカー俳優が一向に姿を現さないのである。
映画のワールドプレミア、そのレッドカーペットの沿道であるならば私はいくらでもショーンを待とう。
しかし状況は切羽詰まっている。
ショーンが現れない旨を看護師のお姉さんに伝えると「とりあえず水分飲んで出しましょう!尿検査しないと検査先に進まないし!」と力強い言葉と綾鷹を送られた。こんな時にも選ばれる綾鷹の偉大さには頭が下がる。だが私は伊右衛門派である。
私は一期一会の精神でトイレの個室に篭って綾鷹を飲み、ショーンの登場を待った。しかしスターの気まぐれゆえか、やつはなかなか姿を現さない。
しかも玉はどんどん腫れ上がってくる。私は恐慌をきたし、ついにリトルホンダを罵りはじめた。「このクサレチ●コ!短小なのは別にもう構わねえがションベン出すぐらいの役には立てよこの野郎!」と、綾鷹のボトル片手にトイレの個室で喚いてる様子は、誰がどう見ても狂人である。
オスカー級の演技で狂人となってみせれば、それに呼応してショーン・ペンも姿を現わすかと思ったが、そんなことはなかった。
私は疲れ果てて厠を出ると、どうしてもショーンが姿を現さない旨を看護師のお姉さんに伝え、待合室の椅子に、戦いを終えたボクサーのようにくずおれた。

そのあと、当直の医師(プチキーマンPに雰囲気が似ていた)による説明を受けた。彼は玉も竿も無事であろうという見解を示し、とりあえず明日泌尿器科の先生に詳しく見てもらいましょうと言って締めくくった。そして私は救急車に乗っている際に連絡を受けて駆け付けた母の運転で家に戻った。私の母は、五歳の息子にVガンダムを見せてトラウマを植え付けたり、軽率にFate/stay nightのアニメを勧めて知らず型月沼に突き落としたりしているロクでもないファッキンマザーだが、この時ばかりは感謝せざるを得なかった。

金玉三段活用、そして入院へ

翌朝私はタクシーに揺られて昨日の病院に向かった。もはや玉はソフトボールくらいに腫れ上がっており歩くのも困難を極めた。
受付に行くとあちこちをたらい回しにされ、レントゲン撮られたり心電図撮られたり血を取られたりした。もはや私の体は丸裸であり、丸腰でメキシコに放り出されるようなものだ。
しかしおれの前に立ちはだかったのはタルサ・ドゥームではなく、またしてもショーン・ペンだった。
ほんらいメキシコの大地でアイアムサムごとき、ものの数ではない。メキシコにヒューマンドラマは必要ないからだ。だがそれはおれがバンデラスであればの話であり、その時のおれはただのブシェミだった。それもメキシコではなく、『モンスターズ・インク』で敵役のトカゲめいたモンスターの声をやっている時のブシェミだ。そんな腰抜けはショーン・ペンにも負ける。

……またうっかりメキシコの風に文章が絡め取られたが、要約すると小便が出なかったのである。昨日と同じように、トイレというリングで6ラウンドに渡る死闘を繰り広げたにも関わらずだ。
その旨を医者に告げると、処置室に来るように言われ、その先で私は地獄を見た。リトルホンダに強制的に管を突っ込んで採尿しやがったのである。私はアイバン・ライトマンの傑作B級映画『エボリューション』で、ケツから入り込んだエイリアンを摘出されるシーンのオーランド・ジョーンズもかくやの悲鳴をあげることとなった。

その悲劇を終えた時点で時計が11時を指していた。その日は午後出社の予定だったが、これは間に合わぬと悟って会社に電話を入れて休むことを伝えることにした。
電話に出てくれた先輩社員に、怪我をしてその治療で病院に来ていること、それが長引きそうなので今日は休むと告げた。
「どこ怪我したんですか?」
と聞いてくるので私は冷静に言葉を選び、
「下腹部です」
と答えてやった。
しかし聞き返してくるので、最大限の譲歩として、
「股間です!」
と返答した。それでも要領を得ない風だったので私もしびれを切らしてついに
「金玉です!!!」
と叫ぶ羽目になり、見事な金玉三段活用コンボを決めてしまった。
先輩氏におかれましては、私の配慮を無に帰すような真似はやめていただきたい。

そうこうしているうちに検査が終わり、「手術はいらないけどしばらく入院してベッド上安静で経過を見ましょう」と告げられた。

ゴールデンウィークをゴールデンボールの治療のために病院で過ごすことが決定した瞬間であった。神よ、私の人生がなんか袋小路です、と嘆く他はなかった。

パッションリップと見舞いと

入院が決定してからの諸々は迅速に進んだ。私はリトルホンダに尿道カテーテルを、かつて松阪に比肩すると言われた左腕に点滴の管を突っ込まれ、ベッドに縛り付けられた。
入院に必要なものは、その日の夕方、母が持って来た。これは繰り返しになるが、私の母は漫画をこよなく愛し、息子にも佐々木倫子の傑作『動物のお医者さん』を与え、続いてそれと同系統の漫画のつもりで『ワイルドハーフ』を与えて性癖をケモ寄りに歪めたファッキンマザーである。しかし去年、祖母(※米寿を迎えてもスターウォーズEP2のヨーダのごとく敏捷で老獪な女傑だ)と妹(※ジャニーズや韓流アイドルの追っかけをしていたはずが最近LengendersでSideM沼に落ちた)が立て続けに入院したこともあり、その準備は迅速で的確だった。

またその日のうちに会社の偉い人が見舞いに訪れ、傷病手当等の現実的な話と、「俺も昔玉破裂したわ」という対応に困る体験談をして帰っていった。

そして私にとって何より励みになったのはFGOのガチャでパッションリップを引き当てたことである。
パッションリップをよく知らぬ人間は、しょせん星4で性格も気弱な腰抜けサーヴァントにすぎないと思うかもしれない。だがそれは間違いだ。
パッションリップはこうげき力とぼうぎょ力を兼ね備えたタフなサーヴァントであり、なによりCVが小倉唯だ。ざんねんなハリウッド映画の素人吹替ヒロインとはわけがちがう、ほんもののメキシコの女神なのだ。
くわしくはsiriにきけ。

しかしおれが言いたいのはそんなことではない。
パッションリップは、腫れ上がった玉に埋もれて腰抜け野郎になっていたおれのリトルホンダを再びバンデラスにするという偉業をなしとげてくれた。
メキシコをたたかうマスターであるおれはこれをたいへん喜ばしく思う。まるでゲン=ウロブチの書く脚本が中盤あたりにさしかかった時のように、消沈するような展開がつづいていたところに、そのサルマ・ハエックのような存在感(どこがとは言わない。siriにきいて画像をみればわかるからだ)でおれに活力をもたらしてくれたのだから。

なおメルトリリスは来ない。
きのうはついに殺生院キアラという尼さんが追加された。おれは『天使にラブ・ソングを』が好きな人間として、ゴールドバーグらしさのない尼さんは信用しないことにしている。なによりメキシコにおいて神の加護は役に立たない。そんなものはドンタコスのようにたやすく燃えて灰になるだけだ。
だから回さない。そのぶんはメルトリリスのために使う。
だが来ない。来ないのだ。バレエダンサーとしてはメキシコよりロシアの方がみりょく的にうつるのかも知れない。私は悲しい(ポロロン)

……話が盛大に横道に逸れたが、この顛末こそが最初に掲げた「腫れるは玉だが竿は立つ」というふざけた表題の骨子だ。言い換えれば、玉が腫れて立ったり座ったりするときに痛む以外、私は至って健康だということ。
こんな駄文を書いている時点でそうだとわかるって?かもしれない。
……それではここで一曲聴いていただこう。星野源で『恋』。

恋 (通常盤)

恋 (通常盤)

おわりに

というわけで、あとはもう面白い話は殆どない。

あえてあげるとすれば以下のようになる。

ゴールデンウィークに会う予定だった友人が「玉が破裂した」という誤報を聞きつけて漫画とCDを持って見舞いに駆けつけてくれたこと。そこで聞いたオリピ04に収録されている『フェイバリットに飾らせて』があまりに名曲で涙しそうになったこと。

THE IDOLM@STER SideM ORIGIN@L PIECES 04

THE IDOLM@STER SideM ORIGIN@L PIECES 04

メルトリリスが出ないこと。

向かいのベッドがいかにもなDQN野郎で、毎日取り巻きがガヤガヤと見舞いにやってくるので「元気があってよろしおすなぁ」と思わず京風の嫌味でもぶつけてやりたくなること。

腫れは徐々に引いているがいつ退院できるか分からんということ。

メルトリリスが出ないこと。

調子よくソシャゲやってたらWi-Fiが飛んでないせいで追加にデータ通信量をこうにゅうする羽目になっていること。

メルトリリスが出ないこと。

動画を作りたくてうずうずしていること。
かわりにSSを書いて上げたこと。

メルトリリスが出ないこと。

こんなところだ。
とにかく今は無事なので心配しないで欲しいということ、あと夜道と不注意には気をつけようということ、次回の『風の戦士同盟』の放送はおそらく最速で5月21日になるということ。メルトリリス引いてる人が羨ましくてならないということ。

おれが伝えられることは以上だ。
かこくなメキシコにおいては、何が命とりになるかわからないということを、おれは身をもって学んだ。メキシコに生きる同胞たちに、これがなんらかの教訓か笑い話にでもなればさいわいだ。
次に会うときはびょういんの外であることを祈る。そのときはテキーラで乾杯しよう。それがメキシコのりゅうぎだからだ。