緻密に組まれた共感と感動――アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』三話までについての諸々。

アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』(以下面倒なので「アニデレ」と表記)が、ここまで予想を大いに上回る大変素晴らしい出来。
第一話の武内Pフィーバーも記憶にあたらしいところだが、最新話にあたる三話では、素晴らしいライブシーンを見せてくれたことで、TLは恐ろしい勢いで沸いていた。
僕自身も、テレビでの放送を目にして思わず感極まり、その後数人で集まってひたすら「良かったねぇ良かったねえ」とSkype感想戦をやっていたのだが、改めてここまでなにがこの作品をここまで素晴らしいものに仕立てあげているのか、ということについて思ったことを書き留めておきたい。


「アイドルになるまで」という第一章。そしてルーキーとしての視点

アニデレの三話までの内容を一言にまとめるなら「アイドルになるまで」
実は、765プロを舞台にしたテレビアニメ版『アイドルマスター』(以下「アニマス」と表記)ではこの辺りの話は殆ど描かれていないし、元々のゲームもプロデューサーとアイドルが事務所で出会うところからのスタートだ。
なので、「スカウトされて、あるいは事務所のオーディションに合格して」という一連のシークエンスは、これまでのアイマスではあまり描かれていなかった部分なのだ。
「なぜアイドルになったか?」という理由についてはアイマスの他媒体でもたびたび触れられる部分ではあるが、「どうやってアイドルになったか」という第一歩がここまできちんと描かれるのは、アイマスDS以来なんじゃないだろうか。
そういう意味で、百戦錬磨のプロデューサーたちにとってもある種新鮮な内容を提供することに成功している、というのがまず一つ。

もう一つ、新たに事務所にスカウトされたルーキーとして、渋谷凛、島村卯月、本田未央の三人を主軸に置いたことも大きい。
アニマスでもほぼ新人のような状態からのスタートではあったが、それでも765プロの面々はアイドルとしての活動履歴はあったことがうかがい知れる描写があった。
しかし、凛・卯月・未央のトリオは卯月が養成所に所属していた以外はまったくの新人であり、それを上手く利用することにより芸能界、346プロ、あるいはこのアニメ全体の世界観を無理なく視聴者に提示することに成功している。
その辺りが上手く使われたのはやはり第二話だろう。346プロに所属するアイドルたちがぞろぞろと登場する回なのだが、三人の視点を通すことによって、「美人(まあその内実はともかくとして)のお姉さんから安部菜々さんじゅうななさいまで色々なアイドルが居る」ということ、「346プロがとてつもなくでかい事務所である」ということ、「プロジェクトのメンバーとして一緒に頑張る仲間たちが居る」ということが、散漫にならず、かつキャラクターのらしさをひと目で分かる形で視聴者に伝わってくる。
アニメで初めてこの作品に触れた人にはやや情報量が多いかなという気もしなくはないけれど、その辺りはどうなのだろう?ぜひ“ご新規さん”の意見を聞いてみたいところではある。

緻密に余すところ無く描かれたステージと、「三人プラスアルファ」の共感の視線。

主人公をルーキーの三人に置いたことが効いてくるのは、三話でも同様。
ニ話のラストでいきなり、城ヶ崎美嘉のバックダンサーとしてライブ出演が決まり、その顛末が描かれるのが今回のエピソード。

第三話の良さ、というのは「初めてのステージ」にまつわるほぼすべてが、きちんと描かれているところにあると思う。
それも、シリアスな部分と、ステージに上がることでかかる魔法というファンタジックな部分の両方が。
前者の部分を担う上で、三話において重要な役割を果たしていたのが、実はみくにゃんこと前川みくである、そんな気がする。
美嘉の抜擢によりライブ出演が決まった凛たち三人に、何かと勝負を持ちかけるみくにゃんの姿はコミカルではあるのだけれど、「選ばれた者に対する選ばれなかった者の気持ち」を代弁する者として、とても重要なポジションにあると思うのだ。
その対極にあるのが、未だ言葉の壁を感じながらも三人をそっと、しかし真摯な気持ちで応援するアナスタシアの立ち位置だろう。選ばれてステージに立つということは、祝福も妬みも同時に受け取らなければならない、ということがここで示される。
また、先輩アイドルたちの描写も素晴らしい。彼女たちをライブに抜擢した張本人である城ヶ崎美嘉は、厳しい言葉はなくとも「プロってのは甘くないよ」というのをレッスンシーンで雄弁に語っているし、控室に現れたお偉いさん方に真っ先に挨拶してみせる川島瑞樹の「大人のアイドル」としての姿も、そういう部分の表れのように思える。
そして、やりなおしの効かないリハーサルや、舞台裏の緊張した空気。
そうした現実のシビアさというのを、割合に容赦なく突きつけてくる。


……さて、そうした中で緊張していく凛たち三人の姿に、画面の前の僕まで胃がきゅーっと締め付けられる感情を味わった。その時の僕の感覚は、どちらかと言えばプロデューサー視点というよりは、凛たち三人への共感が強かったように思う。
少なくとも、僕がアニマスを見ていた時はあまりなかった感情のような気がする。
765プロの面々は、ある意味気心のしれたキャラクターであり、実際アニマス放送までにゲームの中でプロデュースする機会も多くあったから、なにか「信頼をもって見守る」とか、そういう視点が出来上がっていたのかもしれない。
しかし、アニデレを見る僕の目線は、もう一話の時点で既に輝いている卯月を見る凛の視点に同期されてしまっているし、二話では三人を通して346プロの中を探検してしまっていた。
気づいたら三人の目線で僕はこの物語を眺めていた。いや、悔しいけれど認めよう。眺めさせられてしまっていたのだ、アニメスタッフの緻密な誘導によって。

ここでも、三者三様のあり方を持つキャラクターが主役に置かれていることがとても大きい。
憧れをもって、「アイドルである」ことを選択した島村卯月。
輝きに惹かれて、図らずも「アイドルになってしまった」渋谷凛。
自らの輝きを信じ、積極的に「アイドルになろうとする」本田未央

こう書くとなんか『仮面ライダーアギト*1みたいになったけど、あながち間違ってないんじゃないかと思う。
……それはさておきここまでの物語で、僕ら視聴者はおそらく誰か一人の心には寄り添うことが出来ていると思う。
だからこそ、舞台裏でわたわたする卯月や、緊張のあまり言葉を発することが出来ない未央や、その様子にただならぬ者を感じる凛の不安が、僕らの感情に同期される。

ここで、一番やばそうなことになってるのが未央というのもとても良い。
第二話では率先して二人を引っ張る立場にあった未央が、その推進剤としての力を失いつつある。そしてそこで腹をくくるのが、どこかアイドルに対してまだ一歩引いていた凛、というのが更に良い。渋谷凛というキャラクターは、おそらく三人の中で一番思慮深いパーソナリティを与えられている。それは、時には一話のようにアイドルという新たな道に踏み出すまでの葛藤として、あるいは今回のように状況を見極めてなすべきことをなそうとする力としてはたらく。
そして本番寸前、先輩である日野茜、小日向美穂からのアドバイスを「好きな食べ物を掛け声に」というアドバイスを受けるところでも、一番先にそれを言葉にしたのは凛だった。
しかし、最終的に三人の登壇の掛け声として採用されたのは未央の「フライドチキン!」だった。この言葉にはケンタッキー的な直接のフライドチキンとしての意味だけでなく「とびだせ臆病者」との意味も込められているのではないか、という指摘がTwitter上であったけれど、もうひとつ、未央がようやく三人の推進剤としての力を取り戻したという意味も見えてくるような気がしてくる。
(ちなみに、このシーンでは先輩たちにアドバイスを与えてくれるよう、武内Pからの働きかけがあったらしい、という話もTwitter上で見かけた。今回は比較的裏方に回っていたように見える武内Pだが、やはりできる男だと言わざるを得ない)

そしてステージに上がった三人の目に飛び込んでくる観客とサイリウムの海。
この光景の美しさは、三人の視点に僕らの視点が同期されているからこそ、何倍にも膨れ上がる気がする。
そして同時に、僕らの目線はステージを眺めるファンの視点や、仲間たちの勇姿を見守るシンデレラプロジェクトの面々にも同期されていく。
また、今回のライブの舞台は、アイドルマスター8thライブ大阪公演が行われたオリックス劇場をモデルにしている。ここは、本田未央『ミツボシ☆☆★』が初めてライブで披露された記念すべき場でもあり、そういうことも考えると、人一倍緊張しているように描かれた未央の姿に「もしかして?」という深読みができて、にやりとしてしまう。
もちろん、今回のライブシーンの主役である城ヶ崎美嘉についても、『TOKIMEKIエスカレート』の人文字のシーンなどに、実際のライブパフォーマンスを重ねあわせた人が多かったに違いない。
そうした「リアルの経験からの共感」まで用意してくるのだから、もうこっちの感情はぐわんぐわん揺さぶられる。
ずるいわこんなん。泣いたわ。

仲間からの羨望と祝福、バックステージの緊張、直前のシリアスをぶっとばすカタルシス、アイドルたちの目線や実際にライブで見た風景との同期。ステージにあるほぼ全部の要素がきちんと描かれる。骨太でシビアなリアリティと、ステージによってかかる魔法が、素晴らしいバランスで共存している。

また、そういったシビアさに立ち向かうための武器として、アニマスでは765プロの「団結」というものが象徴的に使われていたと思うのだけれど、アニデレでは、346プロではどうするか、というのが今回の裏テーマのような気がする。
もちろん共に手を取り合う相手はいる。凛と未央と卯月、そして応援してくれる仲間、アドバイスをくれる先輩、そっと見守るプロデューサー。
でも、最後に立ち上がるのは自分の力だ、ということが第三話で示された。緊張で言葉も出なかった未央の背中を押したのは凛であり、茜の言葉であるのは間違いない。しかし、「手を引いた」というとなにかが違うような気がする。
アニマスの、765プロの「団結」は、転んだ人の手を引いて立たせる優しさがどこかにあるような気がする。3話の雪歩だったり、20話の千早だったり、24話の春香だったり、あるいは劇場版の可奈であったり。
しかし、デレアニの346プロの仲間意識は、手を引くよりも背中を叩き合う、そんな風に感じられた。
これは深読みにすぎない可能性もあるけれど、「うちはそういう方針でやっていきますよ」というのも提示された、そんな気がする。アニマスとのカラーの違いを、明確にしようとする意志、といってもいいのかもしれない。


……だらだらと色んなことを描いたけれど、アイドルマスター シンデレラガールズ』というアニメは、僕らの感情のスイッチを押すために、ここまである意味周到な詰将棋の様相を感じさせるくらい、緻密に作られている。
多くのキャラクターを出さねばならないという制約の中で、きちんと「物語」を描くためのアップダウンも用意しているという抜け目の無さ。また、先駆者であるアニマスに対してどう差別化していくか、ということも非常に意識されているような気がしてならない。どんだけ色んなことを考えて緻密に作られているんだ、このアニメは。
たぶんもっと細かい要素を拾ったら色々出てくると思うけども、そのあたりは僕よりも精密な観察眼を持った他の人にお任せしたいと思う。

……しかし、いや、しかもというべきか。まだ三話だ。おそらく2クールにわたって描かれる彼女たちの物語の、これはまだ第一章にすぎない訳で、ここからどんなものを見せてくれるんだろうか。
期待しかない。
まだ見ていないというひとも、今なら二話までニコニコ動画で視聴出来るので、ぜひ今のうちに見ておいて明日の三話の配信に備えていただきたいと思う。
まだ予感にすぎないけれど、これは傑作になりうる。それが確信に変わる日はそう遠くない、そんな気がする。
……こんなこと言っといてアレだけど、外れたら笑ってくださいw

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT 00 ST@RTER BEST

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT 00 ST@RTER BEST

*1:『アギト』では主役を務める三人の仮面ライダーにそれぞれキャッチコピーが振られていた。くわしくはwikipedia等参照。