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【ネタバレ注意!】普通の少女が紡いだ、王道の英雄譚。―ヒーローものの視点から見るまどか☆マギカのおはなし・その3

アニメ 魔法少女まどか☆マギカ

まどマギ最終回、すごかったですね。ハバネロです。

夜中に友人宅に集まって見てたんですが、みんな言葉を失ってました。
リアル友人どうしで集まると、普段はめっちゃくちゃ五月蝿いんですが(僕含む)、あんなに静かだったのは初めてかも知れませんw
終わったあとも、なんか「ああ、終わったな……」って感じで、現実に戻ってくるまでにしばらくかかっていました。

物語の着地点としては正しく王道であったと思います。
まだ見れていない人は期待していてください。
もう見たよ!って人は「続きを読む」をクリックして、僕の駄文に付き合ってくださると幸いです。

以下盛大なネタバレにつき格納です!!!!


やはりまどマギは英雄譚だった。

さて、うちのブログではヒーローもの、特に平成ライダーとの関連性からこれまで二度まどマギに関する考察記事をアップしました。

○これはきっと、少女が覚悟を決めて立つまでの物語。―ヒーローものの視点から見るまどか☆マギカのおはなし
○まどかは何故巨大な力を持つ魔法少女となり得るのか? −ヒーローものの視点からみるまどか☆マギカのおはなし・その2

ここで答え合わせをしてしまいます。
・まどかの「覚悟」を決めた「変身」が物語のクライマックスになる
・まどかが友人を救うために「人であること」を捨てる

この二点について、予想はモノの見事に的中しましたね。自画自賛でアレですがw
で、まどかの魔法少女としての巨大なパワーについては「ほむらのループによる願い」が原因となっていることがQBの口から明かされました。
まどかの力は「自らの願い」ではなく、根本は「他者の願い」に起因するものだったようです。ここはハズレ。

答え合わせはそれくらいにするとしても、やはりまどかは「英雄」として立つことになりましたね。
それも、他者の願い=希望を背負って、それを自らの願いとして。

考察その2でも言及しましたが、やはり友のために人間であることを捨てる姿は、「仮面ライダー剣」の剣崎一真を想起させるものになりましたね。

仮面ライダー剣 (ブレイド)VOL.1 [DVD]

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これまた繰り返しになりますが、システム崩壊のためのイレギュラーとなる、という姿は剣崎そのものです。

その一方で、もうひとつ僕が思い出したのは「Fate/stay night」のアーチャー=英霊エミヤの姿でした。

フェイト/ステイナイト[レアルタ・ヌア] PlayStation 2 the Best

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もともとただの人でありながら、「正義の味方」であることを欲したがゆえに、人の理を外れて、永い永い時を戦うことになった姿は、時を超えて魔法少女を救ったまどかの姿とかぶるものがあります。
武器が弓なのもそのへんをイメージしていたりするのかも。
(もっと言えば、ほむほむもアーチャー的な存在になった、とすることもできますね)
また、虚淵玄は「stay/night」の前日譚に当たる「Fate/ZERO」においては「正義の味方」になることを望みながらもなりきれない男、衛宮切嗣を主人公にして物語を展開しているのも偶然といえば偶然ですが、非常に面白い点であります。
Fate/Zero(1) 第四次聖杯戦争秘話 (星海社文庫)

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やはり虚淵玄は、「一人の少女が英雄として立つ物語」を描きたかったんじゃないかなあ、と思います。

魔法少女達、それぞれの救済。

けっきょくハッピーエンドだったの?そうじゃなかったの?と訊かれたら、僕はやっぱりハッピーエンドだったと思います。

結果として「鹿目まどか」という存在は消えてしまいましたが、世界から魔女という絶望を消し去ることには成功したから、というのが理由です。
もっと言えば、「魔法少女→魔女」というシステムによって絶望させられたふたり、ほむらとさやかが救済されているからこそのハッピーエンド。

このふたりの絶望は、まどマギという物語のダークサイドと言うべきものでした。

まどかの願いによって「魔法少女→魔女」という図がなくなったことで、直接その結末が救済されたのはまずさやか。
「魔女」の存在が無くなった世界では、限界まで力を使い切った魔法少女は消滅することになっているようです。
少なくとも、魂が魔女化して、人ならざる形で死ぬことはなくなった、ということ。
かつて、ジャンプのオサレ死神漫画「BLEACH」で「心はここに置いていける」という死に際のセリフがありましたが、*1それがあるおかげでさやかはずいぶん救われている印象があります。*2
見ている限りだと、上條くんの手は治ったものの結局仁美と付き合うことになったようですが、それに対する恨み節はなく、どこかさばさばとした去り際だった印象を受けました。
それはやっぱり、「アイツの演奏をもっと多くの人に聞いて欲しかった」という自身の願いの本質に気づけたから、というのもあると思います。
不幸な偶然の連鎖によって完全に歪められてしまった「願い」の形を、さやかはちゃんと思い出せて退場した、というのはずいぶんと救いがあるじゃないですか。

もっと言えば杏子とも分かり合えてた感じなのが杏さや派としてはものっそい嬉しいんですが!


そして、まどかと並んでもう一人の主人公であったほむらの救済。
「まどかの魔女化」という最低最悪の結末を回避できたこと、その結果ループから逃れたことで、彼女の救済は完遂されました。
彼女の原動力が「まどかの意志を継いで戦う」ことにあるのは救済前も救済後も変わらないのですが、「絶望にあふれたループ」ではなく、「まどかの希望を背負って前に進み続ける」という形で戦い続けることになったのは大きいですね。

まどマギ」が、「まどかが主役の物語」であると同時に、「ほむらの視点で語られる物語」でもあるということを考えると、この救済はなくてはならないものでした。
10話で、ほむらの経験した絶望のループを一話丸ごとつかって経験させられた視聴者の意識は、どうしてもほむらにシンクロする部分が出てきます。
その絶望のループを希望に満ちた前進に変えられたことは、ほむらとシンクロした視聴者の満足度を大きく上げる要因であると思います。
また、まどかが「超越存在」になったことで、これまでのほむらの孤独な戦いを認めてくれたこと、というのも大きいですね。
そうやって自身の行いが報われたことで、ほむらは如何に長く苦しい戦いであろうと、希望を胸に突き進んでいく覚悟を決められたのだと思います。
まどかの存在がちゃんと隣に「いる」ことも大きいですね。


さらに、さやかの救済は同時に杏子の救済であり、ほむらの救済はマミさんの救済でもありました。
自らの合わせ鏡のような存在であるさやかが、納得して消えたことで、杏子もまた、九話で見せた悲しい祈りと自己犠牲をすることはなくなりました。
「惚れた男のためだもんな」と、悲しみながらも納得して乗り越えた印象を受けます。
なんだかんだで他人思いな杏子らしいところですね。九話のアレは、さやかも杏子も納得できなかったがゆえの悲劇でした。

また、マミさんはその死の遠因となった孤独から解放されました。
ここは妄想の域を出ませんが、まどかによって自身の孤独な戦いを認めてもらえたほむらが、マミさんの孤独な戦いを認められたこと、があったのではないかな、と。三話の悲しい事件は、ほむらとマミさんの不和がその背景にありましたから。

ほら、みんなちゃんと救われてるんですよ。
だからこれは、ハッピーエンドなんだ。

「往きて還らぬ物語」の10年代における復権のきざしと、まどかの存在。

そんな「まどか☆マギカ」の物語は、主人公であるまどかがいなくなる*3ことで、ほかの皆を救済し、大団円を見ました。

このエンドを見て、僕と世代が近い人は藤崎竜による漫画版「封神演義」のラストを思い出したりしたかもしれません。

封神演義―完全版 (01) (ジャンプ・コミックス)

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物語のラスト、主人公である太公望の救済は、妲己が地球と一体化した超越存在となることでなされました。
妲己は敵のラスボスっぽいポジション*4でありながら、作者自身は何度か「ヒロイン」という言葉を使っていました。*5
読みながら、なんで敵なのにヒロインよ?って疑問に思ってたらなるほど最後でそういう役割が!と納得した覚えがあります。

まどか☆マギカ」におけるまどかや、「封神演義」の妲己は自らがいなくなることで世界を救済し、物語を大団円に導きましたが、これは古くは「指輪物語」に代表される「往きて還らぬ物語」の構図と言えるのではないでしょうか。

新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫)

新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫)

指輪物語の主人公、フロドは世界を救うために「指輪を捨てる」という使命を数々の試練を乗り越えた先に達成します。その過程で受けた傷を癒すために、エルフの故郷である不死の世界へ旅立ち、自らが救った世界へ戻ってくることはありませんでした。

ここしばらく、そういった「往きて還らぬ英雄たち」の物語がまた少しずつ見られるようになっています。
2ch発のSSとして大きなブームを巻き起こし、書籍化もされた、「まおゆう」。

異星からやってきた金属生命体との対話のために、長い旅をすることになった「劇場版ガンダム00」の主人公、刹那・F・セイエイ*6
あるいは、先日公開された「劇場版マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜」の主人公・早乙女アルトもそうでした。
劇場版マクロスF サヨナラノツバサ netabare album the end of”triangle”

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これらはいずれも2010年以降の作品であることを考えると、10年代に入って「往きて還らぬ物語」が復権を果たしつつある構図が見えるような気がします。
まどか☆マギカ」の主人公・鹿目まどかもまた、そんな流れの中に位置づけることが出来るのではないでしょうか。


結局のところ、脚本・虚淵玄による鬱展開シナリオ、うめてんてーのキャラデザ、イヌカレー空間、シャフトと新房昭之による映像、QBの外道っぷり、流行りの「女の子だけの世界」、といった大量のエサをばらまいて、多くの人に届け!とばかりに作られた「魔法少女まどか☆マギカ」は、王道中の王道である「往きて還らぬ」英雄譚として幕を閉じた、ということになるかと思います。
僕としては本当に素晴らしい「物語」であったと思いますし、この作品との出会い、関わったすべてのスタッフに感謝したい気分でいっぱいです。


ただ、ひとつだけ視聴者としてワガママを言わせてもらうなら、まどかとほむらがいつか再会するとき、というのを見てみたいのです。
DVDの特典でもいいし、コミカライズやノベライズのエピローグでもいいんで!
蛇足なのかもしれないんですけどね。
でも、「涙の別れ」は「笑顔の再会」のためのものであって欲しいんです。ほんともう個人的な意見ですけど。
もし、奇跡や魔法があって、それが見られることがあったら、それはとっても嬉しいなって……*7

*1:巻数を徒に重ねたおかげで何巻だったかは思い出せませんが……。もうずいぶん昔に読んだエピソードのような

*2:魔法少女になることでゾンビ化するシステムはどうなったのかよく分かりませんが、ゾンビ化=魔女化の第一段階だとしたら無くなったと考えるほうが幸せな気はします

*3:存在としてはちゃんと「いる」んですが、人としてはいなくなっちゃってるのでこういう表現にしてます

*4:まあ、実際には違うんですが

*5:単行本が今手元にないのでうろ覚えで申し訳ないですが

*6:最後メタル化して帰ってきましたけど、まあその旅路は長かったでしょうってことでひとつご勘弁を。

*7:仮にも創作者の端くれなら自分で何とかしろよ、って話でもあるんですけどねw