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キラキラじゃなくてもいい、そのカケラだけでいいよ。−某けいおん二次創作漫画に寄せて

ウォークマンけいおん曲をひたすら垂れ流しながら卒論原稿の修正に追われています。ハバネロです。

そんな日々の中で、偶然こんなけいおんの二次創作漫画を読みました。


最初の方は、ちょっとこれどうなの?どうなるの?って、なにやら憤りにも似たもやもやした気分を抱えつつ読み進めてたんですが、ラストまで到達したときにそのもやもやした感情は涙といっしょに流れて行っちゃってました。
うん、すごい。
描いた人は魂かけて見ている僕ら揺さぶりにきていると思います。

けいおん!ファンの方に不快さを感じさせる内容になっているかもしれません。」と作者本人が言ってますが、ぜんぜんそんなことないです。
むしろファンの人は是非見ましょう。憤りましょう。もやもやしましょう。そして泣きましょう。

僕等がいた

さて、ここからは読んだ人向けのお話です。

この漫画の上手さというか、魅力はやはり主人公の立ち位置にあります。
彼女は、けいおんの世界でまったく描写されてこなかった「純粋に真っ黒な感情を持った存在」です。
アニメ劇中ではりっちゃんのちょっとした嫉妬とかありましたが、これに比べりゃアレのなんて可愛いこと。
自分の孤独と対照的にいつも和気あいあい楽しそうな放課後ティータイムに対する、ものすごいどす黒い嫉妬です。
HTTにとって大一番ともいえる学園祭のライブをめちゃくちゃにしてやろう、なんて、たぶん本編のキャラクターは誰も思わないはず。

そんなけいおん世界における「特異点」でありながらも、HTTの面々を離れたところから見てる、という点ではいてもおかしくないキャラクターなのですよね。
劇中のキャラクターには、そんな「離れたところからHTTを見ている」キャラクターはいっぱい居ます。
大人であり先生である立ち位置から、昔の自分を懐かしむように彼女たちをみているさわちゃん。
幼なじみである唯の成長をまるで姉のように優しく見守りながら、他のメンバーともつかず離れずの友情を築いている和。
澪にベーシストとして、カッコいい先輩としてあこがれを抱きつつも、HTTに対して一歩ひいた立ち位置を取る純ちゃん。
また、HTTの中にありながらも、後輩という視点で、卒業していってしまう唯たちを見送る立場だったあずにゃん
あるいは唯たちのクラスメイトとか。
そんな「外側からの視点」を上手く「視聴者の視点」に合わせて見せたことが、少なくともけいおん!というアニメが成功した原因のひとつであることは間違いないと思います。

僕等はあんな青春を送りたかった、できれば唯たちの仲間になりたい!
けいおんを見て、そんな思いを抱いた人は少なくないはずです。
でも一方で、そんな「キラキラ」の中に入るにはめちゃくちゃ勇気がいるのです。
なんか、けいおん!!20話とか、最終話とかの宮本アキヨさんを思い出しますね。

アキヨさんは最後に勇気を出してけいおん部のみんなと関わることが出来ました。


だがしかし。この漫画の主人公は違います。
彼女は勇気を出せなかった。というよりも、出すタイミングがつかめなかったのかもしれません。
それを臆病と断じることはしません。彼女自身がそんな自分をきっと一番嫌ってるから、でも捨てられないから。
そんなありがちな怯えと自己矛盾は、軽音部みたいな「青春」とはかけ離れた場所に彼女を連れて行ってしまいました。
「外側」なんて生易しい表現じゃ足りない、正真正銘蚊帳の外、ATフィールドの向こう側へ。


この構図は、どんだけ頑張っても画面の向こうにいる唯たちに触れることが出来ない僕等とかぶってきます。
そこまでじゃなくても、昔ちょっとだけ勇気が足りなかったばっかりに、青春のキラキラを掴み損ねた人はけっこういるんじゃないでしょうか。
彼女みたいに完全隔離されてしまった人、あるいは、ちょっと手を伸ばせば届くけど、そこに手を伸ばす勇気が足りなくて遠い場所からそんなキラキラした風景を眺めてた人。

そんな人達にとって、欲しかったけど手に入れられなかった青春を羨み、嫉妬する彼女の存在は死ぬほど刺さってきます。
そりゃ自分と重ねちゃいますよ。

そして、彼女たちがいた。

そして、彼女は僕等である一方で、唯たちのあり得た未来のひとつでもあります。

けいおん!!の後期OPだった「Utauyo!!MIRACLE」、そのカップリングに「キラキラDays」という曲が収録されてるんですが、その歌詞にこんな一節があるんです。

もしあの日 出逢えずにいたなら
どんな今日だっただろ
帰り道コンビニで立ち読み?
ひとりファーストフードとか?? お昼寝とか???

そう、もしも出会えなかったなら、彼女たちはひとりだったかもしれない。
考えてみると、唯も澪もムギもあずにゃんも、本質的には自らすすんで「決定的な一歩」を踏み出すタイプではないんですよね。
唯が何も無い日常を音楽に触れることで豊かなものに出来たのも、澪が恥ずかしがり屋をある程度克服したのも、ムギがどんどん積極的になっていったのも、最後にあずにゃんが「お別れしたくない」という本音を吐き出せたのも、すべては軽音部があったからこそ。。
そう考えると最初に澪を引っ張り込んで全ての元凶になったりっちゃんってマジすごくね?女神じゃね?
あともうひとつ凄いのは、唯がまったく訳分かんない状態から軽音部にはいろう!って行動を起こせたこと。
ふつう訳分かんないものに飛び込む勇気なんて持てないよ! やっぱり唯はすごい人なのだな、と思います。

でも、可能性としては唯が軽音部にやってこなかった世界線も、澪が律の強引な誘いを振り切っちゃった世界線もあったと思います。エル・プサイ・コングルゥ
なので、彼女は唯たちのありえた未来の代弁者でもあるのです。

でも、彼女たちは勇気を出して飛び込んだからこそ「キラキラDays」を手にしたわけで。
何年か前にラジオで、林原めぐみ閣下が「人生は勇気とタイミング」って言ってましたけど、なるほど真実じゃねーの。

ちっぽけなカケラでいいんだ、それだけで救われるから。

軽音部の放つ「青春の輝き」に嫉妬し、絶望した彼女のやり場のない気持ちが生み出した目論見は、けっきょくその輝きそのものによって雲散霧消<ミスト・ディスパージョン>しました。


そのひとつは、純ちゃんの存在です。
自分が羨み、嫉妬し、憎みさえした放課後ティータイムのライブを破壊してやる、というドス黒い殺意(みたいなもの)ってヤツは、純ちゃんの存在によってほんの少しだけ綻びました。
欲しかったけど手に入れられなかった、そんな青春の象徴である放課後ティータイム
でも、青春してるのって軽音部だけじゃないのです。放課後ティータイムの外側にも、青春してるコたちはいるわけで。ジャズ研で頑張りながら、澪に憧れHTTのライブを楽しみにしている純ちゃんは、まさに「HTTの外側にある青春」の象徴みたいな存在。
純ちゃんの言葉、思いは、主人公の彼女の意志を、ほんの少しだけ揺るがします。

彼女の気迫に怯えて私は二回吐いたが 計画を中止させるには至らない (本編より)

いや、二回も吐いたんならもう素直にやめようよ!!って言いたくなりますねw
でも、彼女の嫉妬と憧憬は収まりませんでした。


結局それを収めたのは、彼女が講堂に戻ったとき、ステージ上の唯が発したひとことでした。

あと一曲なのにさっき来てくれたそこの人 ありがとうっっっ そうあなたっ みんなみんな本当にありがとーっ (本編より)

たぶんこの子一切何も考えないでこのセリフ吐いてるよ!?
普段あれだけぽわぽわぼけぼけしてながらも、ここ一番では相手が絶対欲しい言葉をかけられるスキル持ち(特に対あずにゃん)。
唯…恐ろしい子!!


主人公の持つ「青春」への真っ黒な嫉妬と憧憬、それはきっと、その輝きが自分に降り注がなかったことに起因するのだと思います。
真っ暗闇のなかにいるよりも、すぐそばで輝く光の陰に入ってるほうが、絶望って何倍にも膨れ上がるんですよね。見たくないのに目に入ってしまう、でも決して届かない。
彼女が絶望の原因である青春の輝きと、その象徴である放課後ティータイムを羨み、嫉妬したことはある種自然な流れと言えるかもしれません。
外側に原因っぽいものがあるなら、それにどす黒い感情を向けるのって楽ですもんw
一瞬楽にみえるけど、後から死ぬほどつらいけどね!!
自己嫌悪も死ぬほど膨れ上がりますから。よけいわけわかんなくなってスパイラルはいっちゃいますから。


でも、死ぬほど欲しくて手に入らなかったものが、カケラでも手に入れば案外楽になっちゃうものなんですよね。
この漫画の場合だと、ほんの一瞬でも唯の視線が主人公に向いたこと。
そして、偶然とは言え「ありがとう」って言葉をもらえたこと。
ほんとちっぽけだけど、それだけで十分、救われるんですよ。


少しだけここで自分の話をします。
僕は中学高校時代、五教科オール5だの、学年で上から数えて何番目だのの優等生野郎でした。
でも、それしか能のない自分がイヤでした。
その一方で、そんな自分を変える勇気もあんまりなくて。
部活はいちおうやってましたけど、弱小文化系クラブだったおかげで桜高の軽音部以上にだらだらしてましたし、恋愛沙汰にも縁がありませんでした。
楽しくない、とは言わないですけど、世間一般でいうところの青春からはだいぶかけ離れた日々でしたね。 
いや、楽しかったんだけど。
で、まあそのまま大学はいって適当にサークルはいって、このまままたダラダラした日々を過ごすんだろうと思ってたんですが。
ニコニコ動画見てたら何を思ったかMAD製作に手を出してしまいまして、びっくりするほどのめり込みました。
僕の作る動画って基本的に再生数そんなに伸びないのばかりですけど、それでも見てくれる人がいて、コメントで賞賛の声をくれる人もいて、いつの間にやら固定ファンのひともできたりなんかして、そこからどんどん交流の輪が広がっていきました。
自分にはなんとなく、勉強がちょっと人よりできる以外にはなんにもないなって思ってたんです。
でも、そんな自分にもたとえちっぽけでも拍手を送ってくれる人がいるってことに気づいて、なんだか救われた気分でした。


たぶんそういう事なんだろうと思います。
別に、キラキラした光の真っ只中に飛び込んでいく必要は特にないのです。
それは勇気とタイミングを掴めた人の特権だと思います。
でも、勇気もタイミングも掴めなくても、その輝きの一端が降り注ぐだけで、人って救われるんですよ。

だから、できることならそのカケラを手にした彼女の未来が幸せなものであるように。
そんなことを、この漫画を読んで思いました。

おまけ:真心ブラザーズじゃなくて。

さて、この漫画は純ちゃんが真心ブラザーズの曲を歌ってるシーンで締められているわけですが。
これを読み終えて僕の脳内で再生されたのは、全然別の曲だったりしました。

andymoriという、僕が大好きなバンドがありまして。

ファンファーレと熱狂

ファンファーレと熱狂

このアルバムに入ってる「CITY LIGHTS」って曲なんですけども。

この曲もむちゃくちゃ好きなんですけど、歌詞の意味があんまり良くわからなかったんですよw
この漫画読んで脳内で流れてきて、なんとなく歌詞の意味がわかったようなそうじゃないような。

完成系を目差して夜に飛ぶ鳥 ミサイルも魔女も超えてあの街まで行け
CITY LIGHTS CITY LIGHTSどこにもいけないけれど
超新星 あの超新星寂しいのはわかるけどあたりかまわずわめいてはじけて
CITY LIGHTS CITY LIGHTSすぐにいなくなるくせに

飛んでいく鳥も、あるいはキラキラ輝く超新星も、見ている分はかっこよくて美しくて。
一方でそれを見る自分はどこにもいけない。輝きは手の届かないところにすぐにいなくなる。
なのに、自分はどこにもいけないけれど、輝きはすぐにいなくなるけれど、そのちょっとした一瞬を捉えて輝きに触れたとき、少しだけ嬉しくなるんだよ。
……そういうことなのかなあ、と。


出来たら、この漫画の主人公の少女に、この曲を聞かせてあげたいですね。
そして、「僕等」であり「彼女」である人々に、ちっぽけでもいいから輝きのカケラが届きますように。
だからやっぱり、けいおん見ようぜ!!!


書き終えて、卒論これだけ書き進めるのに使う時間を考えて軽く欝になる、そんな金曜の真夜中でした。